2006年06月03日

いつでもアルデンテ

 スパゲッティを茹でるとき、歯触りのある固さにするのは、やさしいようでむずかしいもの。
 そのアルデンテを簡単に実現できる新兵器 Pasta Cooker を持って、親しい友人が遊びに来た。
 それは、魔法瓶の一種で、材料をセットして待っているだけで、アルデンテのパスタが出来上る。
 まず、パスタを、その魔法瓶に入れる。熱湯を注いで蓋をして、パスタの標準茹で時間より3分長く待つ。それだけでいい。あとは、トマトソースなどをかけて味わう。
 「普通のやり方で、慎重に時間を計って、茹でればいい」という人もいるそうだが、その労力と手間をほかのことに費やせることを考えれば、これは、やはり、新兵器だといえるのかも。

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2006年05月20日

待ちに待ったイラスト

先々週のこと、よむらようこさんから待ちに待ったイラストが届いた。
「かなり単純化して、かわいらしくしてみましたが、大丈夫でしょうか」

 大丈夫どころか、まったく問題はない。
 私の次の本の表紙。ネコのクッキーメルセデスに乗っているイラストである。シュツットガルトで撮った赤いオープンのSSKとクッキーの写真を渡してあった。
 さすがに、愛知万博のマスコットを造った人だけのことはある。

「この表紙なら、みんなが手に取ってくれる」と思う。
 すぐに出版社と相談して、ページ割りなど、次の段階に移ることにした。


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2005年10月29日

サプライズ・パーティー

サプライズ・パーティ−。人を驚かせるパーティ−。オシャレで、人の心を和まセせる。昨夜、そんなパーティ−を実際に経験した。それは、私の親しい友人の奥さんとお嬢さんがご主人のために計画した「古希の会」。70歳の誕生日を祝う会。

「日常の夫婦の生活の中では、お礼を言いたくても、そのチャンスがありません。これは、私の主人へのお礼の印です。主人が一番喜ぶことは、皆さんと一緒に飲むことなのですから」

それも10人や20人ではない。恐らく100人は超える。小学校から大学までの同窓生、体育会の仲間、会社の同僚がいるかと思えば、プライベートな友人や、このご夫妻が仲人した若い人たちもいる。そうした人たちが銀座に参集した。案内状には、マル秘の判子ガ押してあって、「ぜひ主人には言わないでください」とあった。こんなに多くの人たちが、最後まで、それを守った。

「私の誕生日に家内はいろいろ計画してくれるので、今夜も親しい人たちと飲めるのかな?と思って、言われるままに、ここへ来ました。しかし、こんなに大勢とは!」

三人のお嬢さんたちは、それぞれの道を着実に歩んでいて、津軽三味線やダンスを披露した。

「二人が会って、結婚しようということになったとき、親から反対された。それで、家を出て、小さなアパートで暮らしはじめた。それから40年経った。でも、この人に出会ってよかったとつくづく思っている」

私は、そのパーティ−の間中、涙が止まらなかった。涙が頬を伝わって流れた。それは、単に幸せな家族を観ただけの感動ではなかった。夫婦愛とか家族愛という言葉以上のものだった。特に、奥さんからご主人への深い愛情を観た。それに感激し、敬服したのだった。
これからも、人生の role model として、生きてほしい。
若い人へのお手本としてだけではなく、私たち自身のへ手本としても。
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2005年10月25日

国による英語レベル

 10日間のヨーロッパで感じたことの一つは、国によって英語のレベルが違う、ということ。今回はドイツとフランスだけだったが、ドイツ人のほうがフランス人より英語がうまい。
わたしの感じでは、ドイツでは10人中7人が英語を話すが、フランスは4人。

 これまでの経験を踏まえて、私見で国民の”英語理解度”をパーセンテージで示すと、

北欧:90%、イギリス:100%、ドイツ:70%、フランス:40%、イタリア:30%

となり、イギリスの100%は当たり前、イタリアは10人中3人しか話さない。アメリカは英語と言うよりアメリカ語で100%。もっとも、地域によってはロシアやメキシコなどから来たばかりの人もいるから、98%かもしれない。
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ハワイの結婚式(下)

 ジュリーはサンノゼに住む会社社長のフィン・ジェンセンの長女として生まれた。ジェンセンは、北欧からアメリカへ渡って船会社などを経営した裕福な家庭の出だったが、ジュリーの両親はその後離婚、ジュリーは母親の再婚先のハワイで過ごすことになる。大学を出たジュリーは、ハワイでは名の知れたTシャツメーカーへ就職する。そして、彼女は持ち前の才能を発揮して、キャリア・ガールの道を歩み始める。
 ある日、ワイキキの浜を散歩していた彼女は、アメリカ東部の大学をドロップアウトして、ハワイにやってきたジェイに出会う。
 その優しいまなざし、しぐさ、ほほえみ、態度。
 彼女は、ビジネスの世界に浸っていた。が、ジェイに会って話を聞いているうちに、ジュリーは全く違う世界を見るようになる。ジュリーは感動して、彼にひかれていく。
 ハワイの自然、そこにはぐまれたカジュアルな生活。
 住んでいる人たちは、人なつっこく、親切でやさしい。
 私たちはハワイにいるうちに、いつのまにか、ここに住んでいて、ずっとこのまま、ここで生き続けていくような気分になっていた。改めて、人生やその価値観に考えを巡らした。
 ジュリー、ジェイ。どうかいつまでも幸せに!
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2005年10月24日

ハワイの結婚式(中)

 いよいよ、結婚式の当日。場所はワイマナロの庭園。
 ワイマナロは、ワイキキから東へ車で30ー40分の距離とのこと。ハワイの人にとってはファミリア−だろうが、東京在住の私たちにとっては右も左もわからない。しかたないので、ホテルのコンシェルジェを通じて、リムジン(リモ)を頼んだ。

 太平洋に面した自然のままの庭。南国の濃い緑の木々の中で、純白のロング・ウエデイング・ドレスのジュリーは、妖精のように美しい。
「おめでとう。今日のあなたはゴージャスで一段とすばらしいわ」妻がお祝いの言葉をかける。ジェリーは、ちょっと恥ずかしそうに首をかしげて、「ようこそ」と奥へ案内する。
 ‘花嫁の父’のフィンが、私たちを見つけて近寄ってくる。興奮の面持ちのフィンは、何人かのお客を私たちに紹介しながら、数時間前に行われた結婚式の場所へ連れて行ってくれる。

 そこは、庭先から50メートルほど先にある海岸だった。足元は波が砕ける普通の砂浜なのだが、そこには不思議な雰囲気があった。海の中に、大きな、生きているクジラのような形の無人島が浮かんでいる。緑色と茶色の断層で、高さは100メートルほど。 ハワイは今でも火山活動が続いているというが、いつごろ出来たものなのだろうか?

 そういう自然を背景にして結婚式が行なわれた。
 「ここに新郎新婦が海へ向かって立った。海を背に牧師はここに。そこを中心にして近親者が15人くらい並んだ。歌とギターハワイアン・ウエデイング・ソングを奏する中を、牧師の祝福があって式は終った」フィンがそれぞれの場所を手で指し示しながら説明する。
「それで、新郎が指輪を花嫁の指につけたんだね。二人ともお互いに愛しあい、相手を一生大切にすると、誓ったんだね?」と私。
 「そうだ。そうだ。でも風が強くて、何も聞こえなかった。でも、とても神聖で涙が出た。涙を流さないように努めるのが大変だった」
 そして、フィンは父親の顔になって言った。「ジェイがこういう自然を愛するいい男だということがよく分かった」
 それは、本当に感動的な光景だったろう。
 ニュージャーシーで弁護士を営む新郎の父親ジョン・ウオーターズは、大きな声でよく笑う男だったが、彼も泣いたという。
  ジェイは、この結婚式をジュリーと一緒に計画して、場所を見つけ、家を借り、日取りを決め、この日に臨んだ。「全部、二人がやったんだ。人が住んでいない家なので、掃除が大変だったが」ジョンは、誇らしげだった。パーテイは、ナマのロック演奏で、みんな踊った。バベキューの料理、スシの出前もある。華美でなく心がこもっている。

(続く)
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2005年10月23日

  ハワイの結婚式(上)


 10年以上も親しくしているアメリカの友人のお嬢さんが結婚することになり、その披露宴の招待が届いた。場所は、ハワイのオアフ島。
 アメリカ人の結婚式に出席したのは、30年も前のことだ。その頃はじめて行ったハワイは一度で夢中になり、これまでに何度も行ったが、あのさわやかな風と日光を楽しみたかったので、喜んで応じた。
 実際に行ってみると、結婚式や披露宴からまわりの人々の対応まで、全て想像の範囲を越えていて、目を見張るばかりだった。すべてが‘大袈裟’でなく、‘さりげない’。
 披露宴の2日前に花嫁の父、フィン・ジェンセン、が、ワイキキのロイヤル・ハワイアンホテルでパーテイを開いた。オーシャンビューのスイートルームを借りきって、そこに60人ほどの親しい友人たち。眼下はワイキキの海、左手にはダイヤモンド・ヘッド。室内は30畳位の広さで手前にバーカウンターがあり、中央のテーブルにはブッフェ・スタイルの夕食 ー シュリンプ・カクテル、スモークド・サーモン、てんぷら、やきとり、生のブロッコリー、カリフラワー、人参などのサラダ、それにフルーツ ーが色とりどりに並んでいる。
 新婦のジュリーはチョコレート・ブラウンのミニ・スリップ・ドレス。
 新郎のジェイはアロハ・シャツ。男性はアロハに短パンツの人もいる。年配の人でさえもアロハがほとんど。ネクタイをしていた人は花嫁の父とワシントンDCから来た政府の役人だけ。この人は、私に名刺を出したが、名刺交換をしたのはこの人だけだった。

 この間、新郎新婦のジェイとジュリーは一緒にいたり、離れたり、ごく自然に振る舞っている。
 この二人の紹介はない。スピーチはパーテイを主催したフィンだけ。
 「今日は皆さん、どうもありがとう。こんなに多くの皆さんにお集りいただいて喜んでいます。日本からもきてくれました。どうぞ、ごゆっくり」と言ったあと、新郎の父のジョン・ウオーターズに向かって「ジョン、なにか言うことはある?」と聞く。「いや何も。皆さん、飲んでください」とアロハ姿で手にしたビールをあげながら、彼は応える。

 翌日の夜は、新郎の父がレストランでパーテイを開いた。
 招待客はテーブルに座ってから、普通のお客に混ざってサラダ・バーで好きなものをとった後、思い思いにオパ(マンボウ)の塩焼きやステーキなどを注文した。
 81歳の新婦のお婆さんが「ジュリーが生まれて5週間のころ、彼女をつれて、海岸を乳母車で散歩していた。そのとき私は、誤って彼女を砂の上に投げ出してしまった。今日まで、この私の失敗を誰にも話なさなかった」といって会場が爆笑。
 新郎のお婆さんのほうも、バンドに合わせてハワイアン・ダンスを披露、80の年齢を忘れさせた。

 (続く)
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2005年10月16日

悪いデザインはないデンマーク

 ベルリンから北へバルチック海を渡るとデンマーク、北欧への玄関口の首都コペンハーゲン。快適な飛行日和、北ドイツの黄色や緑で区切られた畑や田園地方が途切れると、ゆったりとカーブを描く海岸線が現われる。地図を見るようだ。間もなくファッカー50機(SK676)は滑走路にタッチダウン。日曜日の朝のコペンハーゲンへの到着はこうした小型のプロペラ機がふさわしい。

 国際空港なのに規模は日本の地方空港並み。入国審査の窓口も全部で4つ、税関はあっても形だけで、「申告するものありません」の表示に進むと出口である。タクシーの列に並んで見渡してみると、東京駅八重洲口くらいの感じでメルセデスのタクシーが2列に並んでいる。運転手が降りてきてスーツケーストランクへ。

 ホテルに着くと、いるはずのドアマンがいない。スーツケースを下ろしてくれた運転手は、「中にフロントがあるから」と慣れた様子で料金を受け取る。140クローネ。100クローネ1枚と50クローネ1枚を出す。「おつりは要らない」と言う前にもらうつもりで「サンキュー」という。
 フロントの若い女性はカジュアルながら、訓練された対応を示す。名前をいうとコンピューターの端末を叩いて「お待ちしておりました」とキビキビ、感じがよい。

 「荷物が外にあるので誰か」と言うと「今、係りがほかの荷物を運んでいるので、わたしが行きます」「でも、すごく重いよ」「大丈夫です。慣れていますから」本当に慣れている。30キロもあるスーツケースを運んでくれる。「こちらが街の地図とオプション・ツアーのカタログです」と、部屋の鍵と一緒に日本語のコペンハーゲン案内までくれる。「どうぞ、ごゆっくり」

 倉庫を改造してホテルにしたという「アドミラル」は埠頭に面していて、部屋の前にはオスロ行きの大型船が停泊している。その先の左側にはもう1隻の大型フェリーがあり、すぐ手前には小型のヨットが帆をおろしている。要するに、ここは港なのだ。この窓も、船の少し大きい1M x2Mのサイズだからこちらも船に乗っている気分だ。

 「クイーンエリザベスのことを思い出すわ」と妻が言う。そうだ。このホテルは部屋も廊下も船のそれなのだ。海洋に出ない船。でも、窓の外の港へ出入りするフェリーやヨットが動くから、こちらも動いているような錯覚に陥らせるところがいい。

 室内の照明機具も電話もテレビもみんなグッドデザインである。浴室の水栓からドアノッブ、コンセントやスイッチ類に至るまで考えられたデザイン。この国には変なデザインのものは同居できない。
(8/17/1997)
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2005年10月15日

大西洋を横断

 ワシントンDCからパリへ向かうジェット旅客機の窓のちょうど左に北斗七星があった。あのひしゃくを上に向けてキラキラと輝く星を見ていると、大西洋を横断している実感がせまってくる。アメリカ東部時間の午前1時、出発してから5時間経っていた。気がつくと、手前の雲の中に、この飛行機と逆方向に動きながら白い光を点滅させている物体がある。ヨーロッパからアメリカへ向かう飛行機。時速1、000キロ近くで飛ぶ飛行機同士がすれちがうというのに、その物体は、のろのろと動いている。きっと、数十キロも離れているのだろう。その雲の彼方には薄いブルーの空間があり、その間から帯状のオレンジ色の光がさしている。そのオレンジ色の部分は、時により活火山から噴き出す溶岩のような火の色に変わる。時間が経って、その帯が次第に大きくなり本物の太陽が顔を出した頃、ジェット機はパリに着陸した。大西洋を横断するのに7時間かかることを、ぼくはその時知った。
(8/10/1997)
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2005年10月14日

「その人の名はクリストファ」

 パリの Hotel Raphael のバー・カウンター
 ひとりで飲んでいると、眼鏡をかけて真っ赤なシャツを着た50がらみの男性が入ってきた。
 私に「ボンジュール」と挨拶するので "Good evening!"と返すと、"Japon?" と聞く。
 頷くと、「あまり英語がうまくできなくてすみません。私は中国人と結婚しているんですが、日本へは行ったことがない」と言いながら、カウンターに座る。後で分かったが、この人はフランスでは名の知れたフォーク・ソング・シンガーだった。
 「ベトナムの首都は何て言いましたっけ?」
 「ホーチミンでしょう?」
 「そう。そのホーチミンへ行ったとき、ミッテラン大統領が来たのです。その記念式典でフランス国歌を演奏する替わりに私が歌ったのです」
 「へえ?本当ですか?」

 そんな話をしながら、私は、彼が注文したカクテルに注目していた。レモンがたっぷり入っていて、見た目にはいかにも美味しそうだったから。
 「それは何ですか?」
 彼は「美味しいですよ。飲んでごらんなさい」と自分のカクテル・グラスを差し出した。
 この様子があまりに自然だったので、私は受け取って味わった。レモンが強く利いたウイスキー・サワーだが、スコッチとレモンの割合が絶妙でさわやかな香りがした。とても美味しかった。

 別れるとき、彼は言った。「このホテルにお泊りでしょう?明日、私のCDを届けさせましょう」
 はじめて会った人にカクテルの味見をさせたり、CDをくれる人。
そんな人に会ったのははじめてだ。
 翌日、私の部屋に3枚のCDが届けられた。クリストファ(Christophe)という名前だった。
 この一件だけで、私はパリがもっと好きになった。

 (8/11/1997)
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